2026年10月5日、英国の作曲家ジョージ・フェントンがロンドンで急逝しました。76歳。海外の映画音楽メディアが相次いで伝えています。名前だけではピンと来ない人も、『ガンジー』『恋はデジャ・ブ』『ユー・ガット・メール』、そしてBBCの自然ドキュメンタリー『ブルー・プラネット』『プラネットアース』の音楽と聞けば、どこかで必ず耳にしているはず。今回は追悼の意を込めて、この「顔の見えない名匠」の仕事を振り返ります。

俳優志望の青年が、劇場の音楽家になるまで

フェントンは1949年、イングランド・ケント州ブロムリー生まれ。本名はジョージ・リチャード・イアン・ハウ。意外なことに出発点は俳優で、1968年にはアラン・ベネットの舞台『Forty Years On』にジョン・ギールグッドと共演しています。俳優組合に同名の登録者がいたため、母の旧姓「フェントン」を芸名にした──その名前が、のちに映画音楽のクレジットとして世界中に流れることになります。

70年代以降はロイヤル・シェイクスピア・カンパニーなど演劇の音楽で腕を磨き、テレビでは『ジュエル・イン・ザ・クラウン』の音楽や刑事ドラマ『ベルジュラック』のテーマ、さらにBBCのニュース番組のテーマまで手がけました。「劇の呼吸に合わせて音を置く」という舞台仕込みの感覚が、彼の劇伴の土台だったと言えます。

アッテンボロー兄弟の“両方”と組んだ男

映画音楽家としての飛躍は、リチャード・アッテンボロー監督の『ガンジー』(1982年)。ラヴィ・シャンカルとの共作でアカデミー賞作曲賞にノミネートされ、続く『遠い夜明け』(作曲賞・歌曲賞の2部門、ジョナス・グワングワと共作)、『危険な関係』、『フィッシャー・キング』と、生涯で5度のアカデミー賞ノミネートを重ねます。

そして面白いのが、監督リチャードの弟、デイヴィッド・アッテンボローとの仕事です。『The Trials of Life』『Life in the Freezer』を経て、2001年の『ブルー・プラネット』でエミー賞とBAFTAを受賞。2006年の『プラネットアース』(NHKも共同制作に参加)でも再びエミー賞に輝き、『フローズン・プラネット』、2023年の『Wild Isles』まで、自然ドキュメンタリーの音楽を長年支えました。映画版の『ディープ・ブルー』や『アース』ではベルリン・フィルが演奏を担当しています。

  • 映画(ハリウッド):『メンフィス・ベル』『恋はデジャ・ブ』『ユー・ガット・メール』『エバー・アフター』『アンナと王様』『メラニーは行く!』
  • ケン・ローチ作品:1994年の『レディバード・レディバード』から2023年の『オールド・オーク』まで約20本。『麦の穂をゆらす風』『わたしは、ダニエル・ブレイク』『家族を想うとき』など
  • ニコラス・ハイトナー作品:『英国万歳!』『クルーシブル』『ヒストリー・ボーイズ』『ミス・シェパードをお手本に』など、監督作すべて

「セリフのない映像」を鳴らす技術

個人的に、フェントンの真骨頂は自然ドキュメンタリーにあると思っています。動物はセリフを話さないし、ナレーションも必要最小限。カメラが捉えたイルカの群れの旋回、獲物に迫るチーターの加速、その「動きの意味」を観客に伝えるのは、ほとんど音楽の役目です。フェントンはフルオーケストラを惜しみなく鳴らし、映像の編集点に寄り添うようにフレーズを組み立てました。これは、セリフに頼らず音楽で感情を運ぶという点で、アニメの劇伴にも通じる発想です。

一方で、ケン・ローチ作品では驚くほど音楽を削ります。労働者の日常を描く映画で、音楽が感情を押しつけないよう、ほんの数分の控えめなスコアに留める。ハリウッドのロマンティック・コメディでは古き良き大編成の甘さを、社会派リアリズムでは沈黙の重さを──同じ人が両極端を使い分けていたことこそ、職人としての凄みでしょう。

彼のスコアは『ブルー・プラネット・イン・コンサート』(2002年、ロイヤル・フェスティバル・ホール初演)などの形で映像付きライブとしても上演され、ハリウッド・ボウルやシドニー・オペラハウスでも演奏されました。いま日本で盛り上がっている「シネマコンサート」文化の、先駆けのひとつでもあります。2015年には世界サウンドトラック・アカデミー(WSA)の生涯功労賞を受け、2023年には音楽への貢献でCBE(大英帝国勲章コマンダー)を授与されました。

追悼にこの3曲(作品)を

まずは『ブルー・プラネット』のメインテーマ。海の青さがそのまま音になったような、あの広がりを。次に『恋はデジャ・ブ』。同じ一日を繰り返す主人公の心境の変化を、さりげない音楽が支えています。そして『わたしは、ダニエル・ブレイク』。音楽が「ほとんど鳴らない」ことの雄弁さを感じてほしい一本です。派手な名前の陰で半世紀にわたり映像を支え続けた名匠に、心からの敬意を。