ワインの一口を、あなたはどんな音で聴くだろうか。渋みの奥に眠る果実、コルクを抜いた瞬間に立ちのぼる土の記憶、グラスの中で少しずつほどけていく時間。TVアニメ『神の雫』は、その「味わい」という目に見えないものを、映像と音楽で描こうとする稀有な作品だ。2026年4月10日(金)よりTOKYO MX、BS日テレ、関西テレビほかで2クールにわたり放送されているこのアニメで、劇伴を手がけるのは瀬川英史。原作は亜樹直・オキモト・シュウによる講談社モーニングの金字塔、制作はサテライト、主人公・神咲雫の声を演じるのは亀梨和也だ。
コメディの名手が、ワインの深淵へ
瀬川英史という名前を聞いて、多くの人がまず思い浮かべるのは、脱力系の笑いだろう。『勇者ヨシヒコ』シリーズのチープさを逆手に取ったB級ファンタジー音楽、『今日から俺は!!』のヤンキー青春を彩る痛快なサウンド、劇場版『銀魂』のカオス。1986年にCM音楽の作曲家として活動を始め、これまでに2500本を超えるコマーシャルを手がけてきた彼は、短い尺の中で一瞬にして空気を作る技術に長けている。だからこそ、彼のコメディ劇伴は「ふざけているのに、どこか品がある」のだ。
その瀬川が、静かで官能的で、ときに哲学的な『神の雫』の世界に挑む。これは意外なようでいて、実は必然でもある。ワインを味わう瞬間の、あの張り詰めた静寂と多幸感の紙一重。笑いと沈黙のあいだの緊張を知り尽くした作曲家だからこそ、テイスティングという「間(ま)」の芸術を音にできる。
「味」を音にするという難題
『神の雫』が世界中の読者を虜にしたのは、ワインの味を言葉と映像で表現する、あの大胆な比喩表現だった。一杯のワインを口に含んだ主人公の脳裏に、草原が広がり、楽団が鳴り響き、一枚の絵画が立ち上がる。原作漫画が視覚と文学で成し遂げたこの離れ業を、アニメは音楽で引き受けなければならない。ここに劇伴作曲家としての真価が問われる。
甘口か辛口か、若いか熟成しているか、旧世界か新世界か——ワインの個性を、瀬川はおそらく音色(ティンバー)と和声で描き分けているはずだ。弦の艶やかさでタンニンの舌触りを、木管の軽やかさで果実の若々しさを、低音の厚みで長い熟成を。テイスティングのシーンで音楽が果たす役割は、単なる背景ではなく、キャラクターが感じている「味覚そのもの」の翻訳装置になる。目に見えず、言葉にもしきれない感覚を、音だけが橋渡しできる。ここに、この作品の劇伴を追いかける最大の面白さがある。
2009年から2026年へ、亀梨和也と歩む物語
忘れてはならないのが、主演の亀梨和也の存在だ。彼は2009年に日本テレビ系で放送された実写ドラマ版『神の雫』でも神咲雫を演じている。それから17年、同じ役者が同じ役でアニメに帰ってくるという稀有な巡り合わせが、この作品には流れている。実写版には福島祐子らによる劇伴があり、「葡萄畑は見渡すかぎり青々と」といった叙情的な楽曲が物語を支えた。時を経て、瀬川英史の音楽が新たな『神の雫』にどんな色を与えるのか。世代を超えて受け継がれる物語に、音楽もまた新しい世代の解釈で応えようとしている。
なぜいま、この劇伴に注目するのか
劇伴の世界では、派手なバトルや壮大なファンタジーが注目されがちだ。だが『神の雫』のように、静かなグラスの中の宇宙を描く作品こそ、作曲家の力量が剥き出しになる。爆発も剣戟もない食卓で、音楽は感情の機微だけを頼りに聴き手を動かさなければならない。瀬川英史はかつてフランスの短編映画『Le Dernier Jour de l'Hiver』でフランス国立映画祭の最高音楽賞を受賞している。笑いの奥に確かな抒情を秘めたこの作曲家が、ワインという奥深いテーマとどう向き合うのか。2クールという長い時間をかけて熟成していくこの劇伴は、間違いなく2026年の劇伴シーンで味わうべき一本だ。放送を追いながら、ぜひ一杯のグラスとともに耳を澄ませてほしい。