“テクノの人”が、オーケストラを手にした
2026年の春、一枚のアナログ盤が静かに店頭へ並んだ。牛尾憲輔が手がけた劇場版『チェンソーマン レゼ篇』のオリジナルサウンドトラック『CHAINSAW MAN THE MOVIE: REZE ARC original soundtrack -summer's end-』のLP版だ。CDは2025年9月、新たに10曲を足した特装盤は同年12月、そしてアナログ盤は2026年4月1日——ひとつの映画の音楽が、一年近くかけて少しずつ形を変えながらリスナーの手に渡っていった。世界中の劇場を沸かせたこの一本を、音の面から支えたのが牛尾憲輔という劇伴作曲家である。主題歌に米津玄師「IRIS OUT」、エンディングに米津玄師×宇多田ヒカル「JANE DOE」という豪華な"歌"が並ぶ一方で、映像の呼吸そのものを作っていたのは、彼のスコアだった。
『ピンポン』から始まった、異形のキャリア
牛尾のキャリアは、じつは劇伴からは始まっていない。彼は2008年12月、"agraph"名義で電子音楽家としてデビューした人だ。テクノ、ハウス、エレクトロ——ダンスミュージックの文脈で鍛えた耳を、初めてアニメへ持ち込んだのが2014年の湯浅政明監督『ピンポン』だった。以来、山田尚子監督との『聲の形』『リズと青い鳥』をはじめ、アニメと実写の両方で、ほかの誰とも違う質感の劇伴を積み上げてきた。生楽器とエレクトロニクスの境界を平然と溶かし、"BGM"という言葉ではとても足りない、作品と一体化した音響を作る。それが牛尾の仕事だ。
2022年にはTVアニメ『チェンソーマン』の劇伴を担当。2024年にはアムステルダムで「チェンソーマンライブ」を成功させ、劇伴を"鳴らして聴かせる"公演としても評価を確立した。電子音楽家が、いつのまにか国境を越えて劇伴を届ける存在になっていたのである。
レゼ篇で鳴った、大編成と極小の音
その延長線上にありながら、『レゼ篇』は明確な転換点になった。牛尾自身が「まだ出していないアイデアがある」と語ってきたうちの一つ——オーケストラの本格的な活用が、ここで解禁されたのだ。監督の吉原達矢、音響監督の名倉靖と幾度も対話を重ね、映像に寄り添うフィルムスコアとして音楽が設計された。叙情的な物語に合わせ、大編成の迫力と、ピアノやバイオリンの極めて繊細な響きが対比される。
とりわけ牛尾がこだわったのが、砂浜の場面だという。バイオリンの非常に細やかな音をわざわざ録音し、登場人物の心情に寄り添わせている。「映画館でしか聴き取れないような小さな音の表情にも耳を傾けてほしい」——本人のこの言葉が、レゼ篇の音の設計思想をそのまま言い当てている。爆音のアクションと、息を潜めるような静寂。その振れ幅こそが、電子音楽出身の彼がオーケストラを"新しい楽器"として掴んだ証拠だろう。ノイジーで暴力的な音から、静謐で美しい旋律まで、ジャンルを越えた三十数曲がそこには収まっている。
『ダンダダン』、そして途切れない現在地
牛尾の名は、いまも現行のクレジットに刻まれ続けている。『ダンダダン』では第2期の劇伴も担当し、22曲を収めた『ダンダダン オリジナルサウンドトラック 2』が2025年10月に発売された。オカルトとSFが入り乱れる混沌を、彼はまたも独自の音響感覚でまとめ上げている。『ピンポン』から『チェンソーマン』へ、そして『ダンダダン』へ——ジャンルも媒体もばらばらな作品を横断しながら、"牛尾憲輔の音"としか言いようのない一貫した手触りが、そこには必ずある。世界興行を続けるレゼ篇のアナログ盤は、その現在地を腰を据えて聴き直すための、ちょうどいい一枚だ。