監督本人が監修、5作品が同時に日本初LP化
ウォン・カーウァイ(王家衛)の映画を思い出すとき、多くの人はまず「音」から思い出す。『恋する惑星』の狭い部屋に流れ続ける気だるい歌、『花様年華』で狭い階段をすれ違うふたりに寄り添う、あのワルツ。物語の筋よりも先に旋律が戻ってくる監督は、そう多くない。その5作品のサウンドトラックが、2026年11月4日、日本で初めてアナログ盤になる。
ユニバーサル ミュージックが9月17日に公開した告知によれば、対象は『恋する惑星』『天使の涙』『ブエノスアイレス』『花様年華』『2046』の5タイトル。いずれも完全生産限定の180g重量盤で、作品ごとに異なるカラー・ヴァイナルが割り当てられている。監督本人がデザインと製作を監修し、映画のシーンをあしらったクリアカード3枚と、日本盤のために書き下ろされたライナーノーツが封入される。
- 『恋する惑星』(UIJY-75440/クリア・イエロー)──フェイ・ウォン「夢中人」をはじめ、ママス&パパス、フライング・ピケッツ、ダイナ・ワシントンらの楽曲を収録
- 『天使の涙』(UIJY-75441/クリア・ライトグリーン)──フライング・ピケッツ「Only You」を含む構成
- 『ブエノスアイレス』(UIJY-75442/クリア・グリーン)──アストル・ピアソラの作品を軸にした一枚
- 『花様年華』(UIJY-75443/クリア・レッド)──梅林茂「夢二のテーマ」、ナット・キング・コール、チョウ・シュアン、レベッカ・パン、さらに粤劇・京劇・評弾まで、全25曲
- 『2046』(UIJY-75444/5/クリア・オレンジ)──唯一の2枚組
価格は4タイトルが各7,700円(税込)、2枚組の『2046』が9,900円(税込)。ライナーノーツは作品ごとに筆者が異なり、『恋する惑星』は森直人、『天使の涙』は結城らんな、『ブエノスアイレス』は西森路代、『花様年華』は山崎まどか、『2046』は遠山純生が担当する。5枚まとめて“読み物”としても設計されている、というのが今回の特徴だ。
「書かれた音楽」と「選ばれた音楽」──梅林茂の主題が示す、劇伴の別解
劇伴という言葉で私たちがふだん指すのは、その作品のために新しく書き下ろされたオリジナル・スコアだ。だがウォン・カーウァイの映画音楽は、その定義から少しはみ出したところに立っている。今回の5枚を並べてみると分かる。ピアソラ、ナット・キング・コール、ママス&パパス、オペラのアリア、そして中国の伝統芸能。既成の音源が、書き下ろしの主題と同じ重さで並んでいる。
この監督にとって音楽は、場面を説明する道具ではなく、場面の速度を決める装置なのだろう。同じ曲を何度も、ほとんど執拗に反復させることで、観客の体内時計を映画のテンポに合わせてしまう。『恋する惑星』のフェイ・ウォンや『ブエノスアイレス』のピアソラが記憶に焼きつくのは、名曲だからというだけでなく、鳴る回数と鳴らないタイミングが計算されているからだ。作曲ではなく選曲と配置で情動を設計する──これも確かに劇伴の一形態である。
その象徴が『花様年華』の「夢二のテーマ」だ。作曲者の梅林茂は、ニュー・ウェイヴ・バンドEXのリーダーとしてギターとヴォーカルを担い、1980年代初頭にはエリック・クラプトンの日本ツアーでバックバンドを務めた人物。バンド解散後に映画音楽へ転じ、2023年にはローマ国際映画祭で生涯功労賞を受けている。そして「夢二のテーマ」は、1991年の鈴木清順監督作『夢二』で梅林が手がけた音楽に由来する主題だ。つまり『花様年華』を代表するあの旋律は、9年前に日本の別の映画のために鳴っていた曲の“転用”なのである。書き下ろしか既成曲かという線引きが、ここでは意味をなくしている。
盤を裏返す動作が、そのまま“編集”になる
LPという器で聴くことに、この5枚はとりわけ向いている。『花様年華』は全25曲がA面14曲/B面11曲に分けられており、片面が終われば必ず立ち上がって盤を裏返すことになる。配信のシャッフルでは消えてしまう「区切り」が、物理的な動作として戻ってくる。映画の章割りを、聴き手が自分の手で再現するようなものだ。
2枚組の『2046』はさらに顕著で、メインテーマがパーカッション入り、ルンバ版、トレイン・リミックスと形を変えながら何度も帰ってくる構成になっている。「Shiboney」「Sway」「Perfidia」といったラテンの定番、オペラ『ノルマ』のアリア、クレジットに並ぶ梅林茂とペール・ラーベンの名前。ジャンルの地層が積み重なったこの一枚を、面の単位で聴き分けられるのは大きい。
劇伴を追いかけている人にとって、この5枚は「スコアを聴く」ためだけの盤ではない。どの曲を、どの順番で、どれだけ繰り返すか──その選択そのものを読み解くための資料になる。作曲家のクレジットが一人しか載っていない作品より、むしろ複雑な設計図がここにはある。11月4日、5色のヴァイナルが同時に届く。どの一枚から針を落とすかで、あなたの記憶の中の香港の色が決まるはずだ。