陸上競技の100メートル走は、たった10秒前後で決着する。その一瞬に人生のすべてを賭ける少年たちを描いたのが、魚豊のデビュー作を原作とする劇場アニメ『ひゃくえむ。』だ。『チ。―地球の運動について―』で一躍その名を知られた魚豊が、まだ無名だった頃に叩きつけた“衝動”の塊。2025年9月19日に公開されたこの作品が、まもなく1周年を迎える。そして今、その節目を記念したリバイバル上映が発表された。映画好き・劇伴好きとしては、単なる再上映では終わらせたくない。もう一度スクリーンで確かめたいのは、この作品を根底から支えた堤博明のスコアだからだ。

10秒に、世界中の音を注ぎ込む

『ひゃくえむ。』の音楽を語るうえで外せないのが、全編を「フィルムスコアリング」で作り上げたという事実だ。2025年9月17日にポニーキャニオンから発売された2枚組オリジナル・サウンドトラックのDISC1には、本編劇伴20曲が収録されている。そして驚くべきは、そのレコーディングがニューヨーク、ブダペスト、東京という3拠点で行われたことだ。走者の呼吸、地面を蹴る一歩、10秒間に凝縮された緊張と疾走感——それを表現するために、各地の名だたるミュージシャンの音が一本のトラックへと編み込まれていく。100メートルという極小の距離に、地球規模のサウンドが注ぎ込まれているのだ。

陸上を題材にした作品の音楽は、実はかなり難しい。派手なアクションもなければ、長い会話劇もない。あるのは、走るという反復運動と、その内側で燃え上がる感情だけだ。堤博明のスコアは、そこに“体温”と“速度”を同時に与えた。抑制の効いたピアノやストリングスが心拍のように刻まれ、ここぞという場面で一気に加速する。BGMというより、走者と一緒に息を切らしているような音楽。だからこそ映像から切り離してアルバム単体で聴いても、あの疾走の記憶がありありと蘇る。

堤博明という、越境するスコアの設計者

堤博明は、『東京リベンジャーズ』『呪術廻戦』『Dr.STONE』といった人気アニメの劇伴を数多く手がけてきた作曲家だ。ジャンルも作風も異なるこれらの作品に共通しているのは、「作品の体温を音で設計する」という彼の姿勢である。派手なメロディで押し切るのではなく、物語の内側から必然として鳴る音を積み上げていく。『ひゃくえむ。』でその手腕は極まった。実写を下敷きにしたロトスコープの生々しいアニメーション表現に、生演奏ならではの呼吸感を持つスコアが寄り添う。映像と音楽が、互いの生々しさを増幅し合っているのだ。

サントラのDISC2「Extended Edition」も聴き逃せない。ここには劇伴のデモ音源や、モチーフを発展させて楽曲としての独立性を高めたエクストラ・バージョン、さらにはワークアウト用・ウォーキング用といったバージョンまで、全12曲が収録されている。劇伴という枠を飛び越えて、一枚のインスト・アルバムとして成立させようという野心が透けて見える。劇伴作家が自作のモチーフをどう解体し、再構築するのか——その思考のプロセスを覗ける、貴重な一枚だ。

1周年、スクリーンで“音”を確かめ直す

そして2026年9月18日(金)から、『ひゃくえむ。』1周年記念リバイバル上映が実施される。kino cinéma新宿をはじめ全国6劇場での1週間限定上映で、入場者にはキャラクターデザイン・小嶋慶祐による描き下ろしポストカード(1周年ver.)が配布される。さらに9月18日と24日には、この作品を支えたロトスコープアクターたちによるティーチイン付き上映会も開催予定だ。配信でも観られる時代に、あえて劇場に足を運ぶ意味——それは、ニューヨーク・ブダペスト・東京で録られたあの音を、劇場の音響で全身に浴びるためにほかならない。10秒に人生を賭ける少年たちの物語を、もう一度、堤博明の音とともに。今度は“音”を主役に据えて、味わい直してみたい。