アニメ版の記憶を、いちど手放してから聴く

藤本タツキの読み切り『ルックバック』が、ふたたび映画館にいる。今度は是枝裕和が監督・脚本・編集を手がけた実写版で、9月11日に公開された。出口夏希と蒔田彩珠のダブル主演、第83回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門への選出——話題はいくらでもあるが、劇伴を追いかける身として気になるのはただ一点、「あの物語の音を、今度は誰がどう鳴らしたのか」だ。

2024年の劇場アニメ版は興行収入20.4億円という大ヒットを記録し、その音楽はharuka nakamuraが担った。ピアノとアンビエントを軸にした、余白の多い静かなスコア。あの音が観客の記憶に強く残っている以上、実写版の作曲家は最初から「比較される」宿命を背負っている。そこに名乗りを上げたのが坂東祐大だった。そして彼が選んだ楽器の軸は、ピアノではなくクラシックギターだった。この一点に、実写版サントラの設計思想が凝縮されていると思う。

芥川作曲賞から日本アカデミー賞へ——坂東祐大という“越境者”

坂東祐大の経歴は、劇伴作家としてはかなり異色だ。1991年生まれ、東京藝術大学作曲科を首席で卒業し、大学院を修了。2015年には現代音楽の登竜門である第25回芥川作曲賞を受賞している。つまり出発点は「コンサートホールの作曲家」であり、2016年には自ら現代音楽アンサンブル「Ensemble FOVE」を立ち上げて主宰している。

その一方で、映像音楽の世界では細田守監督『竜とそばかすの姫』(2021年)で第45回日本アカデミー賞最優秀音楽賞を受賞。ドラマ『大豆田とわ子と三人の元夫』(2021年)ではオペラ的な手法を持ち込んだ劇伴が話題になり、アニメでも『怪獣8号』(2024年)を手がけている。さらに米津玄師の楽曲でストリングス・アレンジを重ねてきたことでも知られ、米津本人が坂東を「音楽の巨人」と評したという逸話は、ポップスのリスナーにもよく知られているだろう。現代音楽、映画、ドラマ、アニメ、J-POP。ジャンルの壁を平然と越えていく作曲家が、今度は是枝裕和という、音楽を極端に抑制することで知られる監督と組んだ。この組み合わせだけで、聴く前から期待は高まる。

ギター4本、1年半、四季のフィルム——全30曲の設計

サントラは日本コロムビアから9月12日に発売された。CD1枚、全30曲、税込3,500円。収録曲を眺めるだけで、この映画の音がどう組み立てられているかが見えてくる。冒頭は「えんぴつ」、そこから「Sketch: Theme」「Solitude I」「Sketch: Variation I」と続き、「ルックバック メインテーマ」が7曲目に置かれる。以降も「シャーペン」「ペン入れ」「ペンタブ」「連載」「休載」「デッサン」と、原作の主題である“描くこと”をそのまま曲名にした小品が並び、終盤に「ルックバック メインテーマ (Orchestra ver.)」「Solitude III」「[再会]」で締めくくられる。「Sketch」と「Solitude」が変奏として何度も回帰する構造は、藤野と京本、ふたりの時間が重なっては離れていく物語の構造そのものだ。

演奏陣の顔ぶれも贅沢だ。ギターは朴葵姫、岡本拓也、閑喜弦介、君島大空の4人。クラシックギター界のトップ奏者に、シンガーソングライターとしても活動する君島大空を加えているのが坂東らしい人選で、弦楽アンサンブルには坂東主宰のEnsemble FOVE、ヴァイオリンに小川響子、ヴィオラに三国レイチェル由依、パーカッションに石若駿、ベースにMarty Holoubek、そしてボーカルとして三浦透子と丁仁愛の名がクレジットされている。

坂東自身は、原作漫画への格別な思い入れを語りつつ、作曲に約1年半を費やしたと明かしている。この映画は全編フィルムで、四季ごとに撮影されたという。秋田県にかほ市の風景からインスピレーションを得たという発言もあり、「クラシックギターを軸に、名手たちに申し訳なさを感じながら何度も何度も微調整していく途方もない日々だった」という趣旨のコメントが印象的だ。ギターという楽器は、ピアノよりもずっと「指の気配」が音に残る。鉛筆が紙を擦る音、ペン先が紙を引っかく音。“描く”という身体的な行為を音楽に翻訳するとき、ギターの爪弾きほど相性のいい楽器はないのかもしれない。

米津玄師の「友情演奏」は、CDには入っていない

もうひとつ、今回のサントラを語るうえで外せない話題がある。米津玄師が本作に「シャークキック・ギター(友情演奏)」として参加していることだ。米津は藤本タツキ原作の『チェンソーマン』で複数のテーマ曲を手がけ、是枝監督とは「カナリヤ」のミュージックビデオで組み、坂東とは長年の盟友——三者すべてに縁があるという、できすぎた巡り合わせである。

ただし注意してほしいのは、この「シャークキック・ギター」の楽曲はサントラCDには収録されていないと公式にアナウンスされている点だ。トラックリストに「シャークキック・ワルツ」という曲があるので混同しそうになるが、米津のギターが鳴るのは映画本編のある1シーンのみ。つまり“あの音”を聴きたければ、劇場に足を運ぶしかない。サントラを聴き込んでから本編を観ると、劇伴に溶け込んだ「別の指」の気配に気づける、という楽しみ方ができる。

アニメ版のharuka nakamuraが「余白」で描いた物語を、坂東祐大は「弦の摩擦」で描き直した。同じ原作、同じ物語で、まったく違う設計思想の劇伴が2年の間に2本生まれたことになる。これは劇伴というジャンルにとって、なかなか贅沢な比較実験だ。CDを手に取り、30曲を通して聴いてから劇場へ。その順番をおすすめしたい。